うんちが漏れそう!

戯言だぽ☆

光と影

20年くらい前の昔の話しだ。

9月の中旬。

私は、1レース目から中山競馬場にいた。

1レース目から、ものの見事に全部外れた。

6レースの新馬戦が始まるころに、私の所持金はゼロになった。

牛丼代として残しておく500円を除いて。

仕方なく、私は帰ろうとしていた。

私の目に、一人の厩務員の姿が入った。

その厩務員は、馬を引っ張っていた。

私は驚いた。

その厩務員が号泣していたからだ。

 

私は、はじめ、彼がミスして悔しくて泣いているのだと思った。

しかし、勘違いだった。

彼の引っ張っている馬は、さきほど3歳未勝利レースを終えたばかり馬だった。

 

このころの中山競馬場では、新馬戦が始まると同時にスーパー未勝利戦が始まる。

3歳未勝利馬が出られる最後のレース、と言ってもいいレースだ。

 

私は把握した。

どうやら、その馬の出せるレースは、その3歳未勝利レースが最後のようであった。

厩務員は、出せるレースが無くなった馬の行先を知っているようだった。

 

彼は、隅のほうで、馬の汗を拭いていた。

そのとき、スタンドの方から大歓声があがった。

6レースの新馬戦で、人気していた良血馬が勝ったようだった。

スタンドの大歓声とは裏腹、馬の汗を静かに拭く厩務員。

私は何とも言えない気持ちになった。

新馬戦を勝った良血馬は、この先、種牡馬としての道も拓けるのかもしれない。

その裏で、生かされることもままならない馬が、ここにいる。

私の中に「同じ馬であるのに」という言葉が浮かんだ。

 

私は、牛丼のために残しておいた500円を握りしめ、帰る方向とは逆の方向に歩き出した。

その500円で、午後のスーパー未勝利戦の馬券を買った。

ものの見事に、その馬券は外れた。

レース終えた馬たちの姿を、私は見ることができなかった。

 

私は空腹のまま家路についた。

空腹はとても辛いものだった。

しかし、その空腹の辛さは、牛丼を食べていない、そのことによるものでは無かった。

 

私は、これ以降、競走馬にとって勝たなくてはならない大事なレースを、選んで買うようになった。「次は、もう無い」というレースだ。

 

馬も人間も同じだと思う。

次が無い大事な一瞬一瞬を生きている。

その一瞬は、とてもさりげなくそこにある。

 

今日のダノンプラチナは、私にとってそういうレースだった。

だから単勝を買った。

私がダノンプラチナを推した理由を述べるならば、この話をする必要があった。

以上